2020年ふりかえり

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2020年は忘れがたい年になりそうですね。こういう1年のふりかえりは、いつも年末にひっそり自分だけでやっているのですが、今年はせっかくウェブサイトも作ったことだし、一部を公開したいと思います。ここに書いたのはおもに仕事関係のことですが、それでも個人的な内容なので(とはいえプライベートなことはほとんど書いていません)ご興味のある方だけどうぞ。

新年の抱負とか目標とかはとくに作っていませんが、その年のテーマみたいなものは新年になんとなく決めていて、2020年のテーマは “Less is more” と “authenticity”(真正であること)でした。

じつは2019年の夏に、尊敬するヨガの先生の研修を受けにアメリカへ行ったんですよ。いちおうエッセイなど書類選考があって、駄目元で応募したら受かって、1か月みっちり修行の日々でした。私はなにかとハマったら突き詰めたくなる性質ですが、飽きるのもわりと早い。でもヨガと翻訳はいまのところ(私にしてはかなり長期間)飽きずに続いていますね。どちらも変化に富んでいるからかな。そしてヨガと翻訳は私の中では深くつながっていて、大きな相乗効果もあるんです。

研修はおもに自分の勉強のために行ったものですが、やはり貴重な機会をいただいて学んだことはシェアする価値と責任があるし、ヨガを教える仕事の割合を少し増やしてもいいかもなあ、とぼんやり思いながら2020年が明けました。そしたら思っただけなのにほんとに増えた。知り合いのスタジオに呼んでもらったり、友人の紹介で新しいレギュラーの仕事が決まったり、前から働いていた場所でも新しいことにチャレンジさせてもらえたりして、ときどき大変だったけど、ありがたかったです。この冬はマインドフル瞑想のティーチャートレーニングを受けたり、ヨガスートラ(ヨガのふるーい教科書みたいなもの)をスウェーデン語に訳した人と勉強させてもらったりもして、研修で学んだことがさらに深まったと思います。

なんかヨガ漬けの冬だったみたいだけど、もちろん翻訳もヒィヒィ言いながらやっていた。こちらはおもに『三分間の空隙』漬け、コロンビア漬けでした。暖かい国の話でよかったね。これはぜひ訳したい作品だったので、やらせていただけてよかったです。あと、2019年に日本に行ったときにけっこう話題にのぼった、スウェーデン語の新しいジェンダーフリーな代名詞についての記事を書きました。

年明けから「新しいものを買わない生活を試してみよう」と思って、なにか必要になったらすぐに買うのではなく、まず家にあるものでなんとかする、借りる、中古で探す、などの選択肢を考えるようにしています。もちろん食品などは例外です。もともとショッピングを楽しいと思う性質ではないので、私にとっては苦にならないどころか、むしろ創意工夫の力と人間力が試されて楽しいかもしれない。意外なことに、少なくとも冬のあいだは、出費ほとんど変わりませんでした。映画とかコンサートとか外食とか、まだふつうに行ってたからですね。いや、「本は好きに買ってOK」というルールにしたのが大きいか。

パンデミックが来て「うわっ」と思った日のことはけっこうよく覚えていて、デンマークが国境を閉じた日です。ちょうどコペンハーゲンとマルメをつなぐ橋のそばに住んでいる友人のところに遊びに行っていて、道すがら橋を見たらほんとに全然車が通っていなくて、非常事態が来たことを一気に実感させられました。

みんながそうだと思いますが、とにかく経験したことのない状況で、いろいろ考えさせられたし、いまも進行形でいろいろ考えています。最初のころになにより考えたのは、社会の明らかな格差について。それによって見える風景が全然違うし、自分ひとりの視野は狭い、ということ。そんなことについて書いたのが『すばる』8月号の記事です。さらにBlack lives matterの動きが広がって、「人によって見える風景の違い」がより露わになった気がします。BLMについてはこんな記事も書いたりもしました。

私自身の仕事への影響ですが、翻訳は家でやっているのでほとんど変化なく、ヨガを教える仕事のほうが、オンライン配信を併用するようになったり、神経質なほど衛生に気をつけるようになったりしたぐらいでした。そういえば、オンラインで、反人身売買団体のためのチャリティー瞑想クラスをやりましたね(スウェーデンでの視聴に限定しなかったので、英語でした。アーカイブがうっかりまだ残ってたのでリンク張りますが、そのうち消すかも)。

あと、スウェーデンの文芸翻訳誌に記事を書く機会もありました。スウェーデンの文学界・翻訳界って、とても欧米偏重だというのが前から気になっていたので、お話をいただいたときはうれしかったです。年齢や地位、ジェンダーによる言葉遣いの差があまりないスウェーデン語から日本語への翻訳で、敬語やいわゆる“女ことば”をどうするか、についての内容でした。なお、執筆前に頭を整理するため、facebookの北欧ブッククラブでひっそり、このテーマについてライブ配信をやりました(話を聞いてくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました)。

この夏は、訳書が2冊刊行されました。気がつくと本文の翻訳忘れて絵に仕込まれた小ネタを眺めてしまう『おばけでんしゃだ おとうとうさぎ!』と、校正中にゲリラ組織の名前を何度もPCRに空目した『三分間の空隙』。また、刊行はまだ先ですが、この夏のあいだはとっても好きな作品を翻訳していました。もちろん簡単ではなかったけれど、た、楽しかった……

夏休みは絵に描いたようなStaycationで、『ザリガニの鳴くところ』や『菜食主義者』、『樹木たちの知られざる生活』、友人に借りたナタリア・ギンズブルグを一気読みするなどしましたが(どれもよかった)、終わりのほうで風邪をひいてPCR検査を初体験(陰性でした)。このころは感染者が少なかったので、即日で検査できて翌日には結果出てましたねえ……

夏にやっていた作品の翻訳はなんとか終わって、次もまた、自分としてはものすごく思い入れのある本を訳しはじめました。これ、大好きだけど翻訳刊行は難しいだろうなあと思っていた作品なのですが、驚いたことに実現しまして…… ありがたいことです。やっぱり最初からあきらめるのは馬鹿馬鹿しいですね。

春に書かせてもらった文芸翻訳誌の記事がきっかけで、同じテーマでヨーテボリ・ブックフェアで話をする機会をいただきました。今年は全部デジタル配信だったので、ブックフェアのサイトでまだ見られるはず(スウェーデン語ですが。あと会員登録が必要かも?)。記事を書いたときもそうでしたが、やはりスウェーデン語での表現力はまだまだだと実感(日本語の表現力は?というツッコミはさておき)。でもまあ、やってみなきゃ、そこからどうすれば向上できるかもわからないし、完璧になるのを待ってたら人生終わっちゃいますもんね。

さらに、前から興味のあったエコクリティシズム、自然環境と人間の関係を書いた文学についてのコースが、地元ルンド大学でオンライン開講されまして、秋のあいだはそれを受講していました。もう私にとっては興味範囲どストライクなコースで、すごく勉強になったし、もっと学びたくなった。それでこういう記事も書きました。ここのところ、このテーマに少しかかわる本を何冊か翻訳したor翻訳する予定なので(刊行はまだですが)、その意味でもほんとに受けてよかったです。そういえば、「はじめての海外文学スペシャル」で紹介したマヤ・ルンデ『蜜蜂』も、このテーマにかなり関連する本ですね。

私が住んでいる地方は10月の末ぐらいからコロナウイルス感染者数がぐんと増えだしたため、それまでは衛生と距離に気をつけつつ続けていたヨガクラスも、すべてオンラインに移行したり、厳しい人数制限をしたりするようになって、試行錯誤の日々でした。自宅からのヨガクラス配信もなんとかできるということがわかった。もちろんスタジオのように素敵な設備ではないけれど。私はつきつめればヨガの仕事に生活かかってないから、あまりストレスにならずに済んでいるけれど、スタジオ経営したりしている人は大変ですよ。競争の激しいコペンハーゲンで20年近くスタジオを続けていた知り合いが、完全撤退を余儀なくされたと聞いたときには泣きました、ほんとに。

このコロナ禍の1年を通じてなにより考えたのは、同じようなこと考えてる人多いと思うけど、「経済ってなんだったんだっけ?」ということです。

そもそも「ウイルスが経済に打撃を与える」っていう表現からして、よくよく考えるとおかしくないですか? ウイルスの蔓延とか、そういう状況に対応して、それでも人々が困らず生活していけるように、うまくやりくりするのが経済なのでは? エコノミーの語源を考えても。「気候変動対策が経済に打撃を与える」と同じニオイを感じますね。気候危機を乗り越えられなかったら経済もなにもないのに。

経済が人のためにあるのではなく、まるで経済を回すために人が存在しているかのようです。

いまの状況でだれより必要とされているはずの、看護師さんや介護士さんをはじめとするエッセンシャルワーカーに、低賃金しか支払われていない、そんな「経済」とはこれいかに。

ロックダウンなどで、環境に負担のかかりすぎる大量消費ライフスタイルをやめてみたとたん、あっというまに立ち行かなくなる「経済」とはこれいかに。

やっぱりいまのシステムはどこかおかしい、ということに、多くの人が気づきはじめているのではないでしょうか。ベーシックインカム制度の議論とか、これからもっと真剣に始まるのかもしれません。

スウェーデンでは平日ほぼ毎日、感染者数や死者数が発表されて、人間が「数字」と化してしまった1年でもありました。

人間らしくありたい、と強く思います。

というわけで、私にとっての2021年のテーマは、「ダウンシフト」と「人間らしくあること」です。

「生産性」とか「効率性」とか「労働市場での価値」とか「消費者」とか、経済を動かすコマのように人間を扱う世界から、私はすすんでドロップアウトしたい。人の話にちゃんと耳を傾けて、本を読んで、数字ではない物語を知りたいし、伝える手伝いをしたい。これからの社会システムをどうしていったらいいと思うか、どうしたら格差や分断を乗り越えられるのか、もっとfellow human beingsと話してみたい。

人間らしくある道を模索したいです。

9月に日本経済新聞の「交遊抄」というコラム執筆の機会をいただいて、こういう「経済ってなんだろうね?」みたいな話の通じる大切な友人について書きました。交友関係がテーマということで、どうせならコロナ禍で打撃を受けた観光業や飲食業の友人について書きたい、そして日経に載るならぜひ女性の友人について書きたい、と思った結果なわけですが……

たいへん短いコラムで、私が全然書ききれなかったことはすべて、ご本人がこちらで書いていたりします。よかったらぜひ。

12月の末には、大掃除していて発掘された資料をもとに、こちらの記事でスウェーデンのミステリの歴史をおさらいしてみました。

人に支えられて生きているということを実感した1年でもありましたね。日本との物理的な距離は広がった気がするけど(電車で30分のデンマークすら、いまはとても遠い)、デジタルでつながる道を開拓できたのも大きな収穫でした。みなさま、ほんとうにいろいろとありがとうございました。

2021年には、これまであまりやったことのなかったジャンルの訳書が何冊か刊行される予定です。これからも勉強を重ね、地味に地道に、高村光太郎の詩「牛」の心持ちで、「堅い大地に蹄をつけて」「平凡な大地を」行きたいと思います。アッそういえば今年は丑年だね?! よし、心置きなく牛をめざそう。

2021年、新たな希望に満ちた年となりますように。

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